俺と彼女と、遠い思い出

始まりはいつだったのか覚えていない。


写真を見る限りは、彼女は中一の頃に夏の高原学校で俺と同じ班にいたようだ。

しばらくは、彼女はただの先輩だった。
パソコン部と文芸部。
同じ空間を使う、同じ方面から来る先輩。

交わされる会話も無く、ただ見かけることがあるだけの日々が続いていく。



そう、中学の頃の1年の年の差は、想像以上に大きい。




時は流れ、高校時代。気が付いたら、俺は彼女と同じ電車の、同じ場所に乗っていた。
電車の中では、何気ない話が交わされるようになった。好きな曲の話、くだらない誤変換の話、お互い好きだったプリンの話。そして、俺の好きだった空の話。
多くの場合は友人たちも一緒であったが、俺と彼女の時間はそこから始まっていった。


昔はバス、今は自転車。
昔はバス、今は歩き。

駅から先は別々の時間が流れていく。やはり学年の差は縮まることはない。

ある日、帰り道に彼女を見かけた。
交わされる言葉は短い。

「どうも。」

そして俺は、彼女と並んで歩き出す。自転車を降り、いつもと反対車線を歩いていく。

それがきっかけだったのか、それからは、時々帰り道に一緒に帰るようになった。しかし、毎日ではない。下手をすれば、一週間丸々その機会がないことさえ稀ではなかった。

でも、それは何人かで連むことの多い電車の中とは違う、確かな2人だけの時間だった。


ある雨の降る日。彼女は傘を忘れたのか、雨の中何もささずに歩いていた。
なぜか頑なにバスに乗ろうとしない彼女。
「風邪ひきますよ。」
仲間と別れ、反対車線に回った俺はそう言って彼女に傘を渡す。
彼女は遠慮しつつも、最終的には受け取ってくれた。
雨の中傘を差さずに歩いている彼女を黙って見過ごすことはできなかった。
それは、善人ではない俺の、ほんの少しの良心の欠片の様なものだ。

借りた傘を返す、というささやかな約束。
それは、彼女との関係の前進であった。

傘が彼女の元にある限り、また彼女にあって話をすることができる。



俺は、彼女が少しずつ、心を開いてくれていると思った。
高嶺の花とも言うべき存在であった彼女と、普通に話をすることができるようになった。
それは、”友人関係”と呼べるものであったと俺は信じている。


いつしか彼女の隣にいるのは当たり前になっていた。
その日も傘を貸した俺は、帰り道に彼女を見つけ、いつものごとく声を掛けた。

だが、なんだか俯き気味な彼女は、傘を俺に帰すとぼそりとこう言う。
「あの、今日は一人にしてくれませんか・・・・」

俺は、その場は引き下がるしかできなかった。
駅でも話をしない彼女に、俺は罪悪感を覚え始めていた。

あの場は無理に話しかけず、気付かなかったふりして通り過ぎればよかったのではないか・・・・
その後悔の念は、しばらく忘れることはできなかった。



その日から、俺達の間は急速に離れていった。

また今以上に距離が離れていってしまうのではないか?
そう思い、俺は彼女に声を掛けるのが怖かった。

今更何を話せばいいのだろうか?
そう思い、俺は彼女を見かけるのが怖かった。

彼女は、最後の希望であった同じ電車に乗ることを放棄した。
受験のために、少しでも移動時間が短い方が良い。
彼女がそう言ってたことを思い出す。
彼女の居なくなった通学時間に、俺は尚更罪悪感にまみれていった。


そして、言葉を交わすことなく月日は流れ、一つ年上の彼女は卒業していった。

しかし、その進路を俺は知らなかった。



俺は、受験という時間に溺れ、彼女と過ごした時間を忘れるように過ごした。
選んだ大学は、関東から離れた地方大学。それは、合格実績欄に載っていた、彼女が通っているであろう大学とは正反対にある。
選んだ学科は彼女と語り合った空とは反対の地質学。彼女を思い出させる空は、受験期の俺には果てしなく遠かった。



俺は、初めての一人暮らしに困惑しつつも、充実したと思える大学生活を送っていた。
いつしか俺にとっての彼女は、セピア色に色褪せて消えていった。



時は過ぎて、大学二年の冬。彼女のことをすっかり忘れていたある日。



俺は、夢を見た。


それは、川の中の軽トラ。荷台にいる俺は、助手席を見る。
そこには、長髪の女性がいた。
女性はこちらを振り向き、俺を呼ぶ。
「こちらへ来て・・・・」
俺は、行かなければ行けない気がして、薄汚れた川に飛び込む。
女性はそんな俺を見て、ドアを開けて手を差し伸べる。
流速の早い川に揉まれながら、俺は助手席を見る。
そこには、久しく忘れていた彼女がいた。
声を掛けようとするも、そこで場面は暗転する。


それは、久しく忘れていた彼女の夢。
俺は困惑する。

なぜ今更出てくるのだろうか・・・・


―――夢とは何か。

ある人は、夢は眠る間に脳が情報を整理していて、その状況が複雑に絡み合って現れるという。
またある人は、夢というのはその人の隠れた潜在意識の現れだという。


成人式も近く、高校時代の友人に会う機会が近い。
そんな話題が、彼女を思い起こさせたのだろうか。
同じ時間を過ごした場所へ行くことは、俺にわずかな期待を持たせる。
だが、その場に彼女が現れることはないだろう。

1年という学年の違い。
それは、決して埋めることのできない二人の時間差。

振り返れば、セピア色の思い出が蘇る。
くだらない話。好きな曲の話。プリンで語り合った話。
決して二人きりで過ごした時間が多くあったわけではない。
だが、俺はそんな時間が好きだった。


今思えば、俺は彼女のことが好きだったのだろう。
言葉にしなかった思いが、少しずつ蘇ってゆく。


だが、今となっては彼女とコンタクトする術はない。
自ら一歩を踏み出すことをしなかった俺と彼女の間には、絶望的なまでの距離が、そこにはあった。




これは遠い昔の、思ったより早く、そして遠くへと過ぎ去った思い出なのだ。
今は、そう思っている。


そう。ただの思い出話だ。
遠い昔の、今はセピア色に色付いった、「遠い想い出」。

お話のようなハッピーエンドなんて、そうそうあるモノじゃない。
そうしてまた、俺はいつもの日々に戻っていく。
彼女の居ない、日常に。

あとがき
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