遠き地にて
〜私と彼のPrelude〜

彼はいつでも、私の知らない誰かのの影を追っていた。
虚空を見上げ、何かを探している。
彼は、いつか私に振り向いてくれるのだろうか・・・・。


出会いは最悪だったと私は思う。
それは帰りの駅のホーム。入学したてだった私は、一つ年上の女の先輩に連れられて、彼に出会った。
「この子が新しく入学した子だよ!」
そういって私を彼に紹介する。
だが、開口一番彼はこう言った。

「おいおい、俺なんかに紹介なんてして大丈夫か? 後悔させることになるぜ」

その言葉の意味を、私はしばらく理解できなかった。


それから、何度か先輩と一緒に帰るときに彼に会う機会があった。
初対面の印象はあまりよくなかったが、先輩が仲がいいということで私もあまり気にしないようにしていた。
先輩は中学二年。彼は高校二年。
3年年が離れているのに、なぜこうにも仲がいいのか私はよく分からなかったが、少なくとも悪い人ではないと思いつつあった。
先輩は誰にでも物怖じしないからだろうか。彼にも普通に敬語抜きでしゃべっていたのだし。
なかなか豪快な人のようだ。
それを注意しない彼もそうである。何というか、今更だろというような感じだった。


何というか、彼は不思議な人だった。
こう言ってはなんだが、見た目が普通じゃなかった。
初見、この人を高校生と思う人はいないだろうと思えるくらい、彼は老け顔だった。
そして先輩であるからなのかもしれないが、彼は色々な知識を持っていた。

彼はとにかく優しい。
何度か持っていたお菓子とかを分けてもらったことがあった。
「これ食べるか?」
何度も聞いた台詞。
彼は、何か持っていたらそれを分けてくれるような人だった。

夏の日に待合室で涼んでいた彼に戯れでアイス食べたいと言ったら本当に奢ってくれたこともあった。
「あっついですね〜」
「そうだな」
「こんな日はアイスなんて食べたいですよね」
「まったくだ。よし、ちょっと待ってろ」
「へ?」
彼はすっと立ち上がり、駅の売店に向かう。
「何食べたい?」
「え、いや、あの、冗談ですよ?」
「いいんだよ。俺も食いたい気分なんだ」
彼はぶっきらぼうにそう言う。普段はなかなか買い食いしない彼なのだが、この時は不思議と奢ってくれたのだった。
「えっと、あの・・・」
「気にするな。後輩は黙って奢られとけばいいんだよ」
少々口の悪い彼。しかし、その裏側の優しさを私は知っている。


いつしか、行き帰りの電車で見かけたら普通に話のできる先輩になっていた。
よく話もしたし、メールアドレスを交換したりした。私の中で、彼の存在は大きなものになっていった。こういう感情を『好き』というのだろうか。彼の優しさに触れるたびに、この気持ちは大きくなっていく。
だが、彼はどこか一歩引いたような言動を取っている気がする。
普通に会話している分にはなかなか気づかないのだろうが、時々彼はすごくさびしそうな表情をする事がある。
一人でいる時、彼はよくそんな表情をしながら空を見上げていた。

一度だけ、そんな彼に話しかけたことがある。
「空、好きなのですか?」
そう尋ねる私に、彼はゆっくりと振り返りながら答えた。
「ああ。好きだよ。・・・でもな」
「でも?」
「ここの空は、とても遠いんだ」
そうして彼は空に手をかざす。
「こう目で見るだけなら、あの空に手が届きそうな気がする。でも、実際にはあの空は高度数100q彼方だ」
「・・・」
「届きそうでも、届かない」
そう言って再び彼は無言で空を見つめていた。
私もそれにならって空を見上げる。
その空は前日の雨が嘘のように晴れ渡り、日差しの強い青空をしていた。
それは、彼が高校3年、私が中学2年の夏の事だった。



そんな彼と直接会っていられた期間は短かった。
私と彼には4年の時間差がある。
中高一貫校だからこその関係だったのだろう。
「じゃあ、またな」
出会って2年、そう言って年上の彼は西方の山の向こうの大学に進学していった。

だが、現代は便利な時代だ。
遠く離れていても、私たちはメールや無料通話ソフトといった電子の鎖でつながることができる。
『この電子の絆が、私たちを繋いでいてくれる』
そう安堵していた。

何度もしたメールや電話の中で、よっぽどきにいったのか、彼は向こうの話をよくしてくれた。
豊かな自然に囲まれているのは少しうらやましい。
だが、彼の専攻した地質学は、私の希望していた進路とは異なる。
文系と理系。
年齢の差と相まって、私と彼の行き先はどんどん離れていく。
私の中で、『彼を追いかけて行きたい』という気持ちが芽生え始めていた。


ある日、彼はホームページを作ったと言った。
イラストと小説と旅行写真をメインにしたサイト。
それはそれですごいのだが、その中に気になる小説を見つけた。

―ある少年が一つ年上の少女と出会い、そして別れる物語―
それは、ある意味リアルで、どこか悲しいお話。

初めて読んだとき、少しの引っ掛かりを私は覚えた。
あとがきにはある映画を見て書いたとあったが、実は彼の過去を描いたものなのではないか、と。
メールしても、「ただのお話さ」としか返ってこない。
だが、私は小説の中に、昔見た彼のあの寂しそうな表情を思い出す。

もし、もしあのお話が実話を元にしたものなのだとしたら。
彼のあの表情は、居なくなった“誰か”を思っての事なのだとしたら。

私は、ただのピエロなのかもしれない。


その日から、どうにも彼の言動が気になって仕方なかった。
彼の言葉の一つ一つに、私の知らない彼女(ヒト)が居るように思えてならなかった。

そんな私に、彼も少し疑問に思ったらしい。
『なあ、最近どうも変だぞ』
彼は無料メールソフトでそう話しかける。
『なにかあったなら相談に乗るぜ』
そのメールに、私は意を決してこう返した。
『今年の夏、先輩の所へ行こうと思います』
彼の通う大学のオープンキャンパスに行くという名目で、彼の居る西方の地へ行くことを伝えた。
『私、先輩に聞きたいことがあるんです』

しばらくたって、彼から返信が来た。
『それはメールじゃだめなのか?』
それに私はこう返した。
『電話やメールじゃ、ホントのことは伝わりません。私は、真実を知りたいんです』
そして帰ってきた返信にはこうあった。
『分かった。その日なら俺も空いてる。気を付けて来てくれ』


在来線と新幹線、特急を乗り継いで彼の居る土地まで私はやってきた。
電車を降りて思ったのは、標高の高さから来る日差しの強さと気温の涼しさだった。
彼の言っていた通りだ。
ホームから階段を上って改札を出る。
気候や看板などから感じる、『違う土地に来た』という感覚。
やや降りた客で混雑していたコンコースの中に、彼を見つけた。
彼も私に気が付いたようで、手を振りながら駆け寄ってきた。
「よく来たな」
そう言って微笑む彼に、私も答えた。
「はい。来ちゃいました♪」
電車の中でずっと練習してきた笑顔。
ここ一番の表情ができたと思う。

本当は聞きたくて仕方なかったのだが、とりあえずは名目を果たさなければならない。
彼に案内されて、私は大学行きのバスに乗った。

国立大学である彼の通う大学は、当然人気がそれなりにあり、オープンキャンパスは各学部で日程がずらされているとはいっても結構混んでいた。
私が来たのは経済学部のオープンキャンパス。
彼の所属する理学部とは異なるが、同じ地で学べるというのはやっぱりいいと思う。
そして、オープンキャンパスは一日かかるので、彼はいったん自宅に帰ることとなった。
終了予定時間を伝え、再びバス停で待合わせをして別れる。
すこし、寂しかった。

オープンキャンパスを終えた頃には、だいぶ午後を回ってしまっていた。
彼はバス停で待っていた。
「おせーよ」
そういう彼に「伸びちゃったんですよ〜」と答える。
そして、本命である話を聞きたい旨を彼に伝えた。
大体何の話を聞きたがっていたのかは、カンの良い彼の事だから分かっていたのだろう。
彼は少し真剣な表情になり、こう言った。
「わかった。じゃあ、話すのにいい場所があるからそこへ行こう」


そうして、私たちはまたバスに乗った。
行き先を尋ねても「ヒミツ」としか答えてくれない。
なんとなく話ずらい空気が流れる。
無言の私たちの間に、バスの走る音だけが流れていった。

着いたバス停はよく分からない林の前だった。
「少し歩くぞ。大丈夫か?」
「はい」
ここまで来たのだ。どこえでも行ってやる。

そうして緩やかな林道を抜けていく。
地元の辺りではあまり聞けそうにない程、自然の音にあふれている。
30分ほど歩いたであろうか。林道が切れ、景色が開ける。

そこには、夕暮れで黄金色に輝く盆地と山々が広がっていた。

「すごい・・・」
つい言葉が漏れてしまう。
まさしく、絶景というべきものだ。
しばらく景色に見とれていたが、ふと彼が話し始めた。
「ここは、俺が一番好きな景色が見れるところなんだ」
「いいですね」
「ここからなら、きっとあの空に手が届くんじゃないかと思えてさ」
そうして彼はいつだったかの時と同じように空に向かって手を伸ばす。
そんな彼に、私は問いかけた。
「先輩の中には、今もお話の中の“あの人”が住んでいるのではないですか?」

彼はゆっくりと振り返る。
「やっぱりその話か。そうだと思ったよ」
「私、知りたいんです。先輩の本当の“ココロ”を」
私はギュッと目を瞑ってこう言った。
「私は、先輩の事が好きです」

彼は無言で聞いている。
「先輩の小説の中には、私以外の誰かが居るような気がしてなりませんでした」
そう、私の知らない誰か。
「先輩がどこか遠くへ行ってしまう気がして、居ても立ってもいられなくなって・・・」
私は少しうつむきながら続けた。
「・・・だから、先輩の事が好きだから、私の知らない先輩がいるのは不安で仕方ありませんでした」
顔をあげて、こう言った。
「もし、私の事を受け入れてくれるなら、教えてください。私の知らない、先輩の過去を」


少しの間をおいて、彼は答えた。
「答えを言う前に、彼女について話しておこうか」
そして彼は語りだす―――
「昔、好きな人が居たんだ」
小説で語られていなかった、彼と彼女の物語を―――


「これがお前さんの知りたかった“真実”ってやつだ」
話し終えた彼に、私は尋ねる。
「それが、私の知らなかった先輩の姿なんですね。でも、それでも、私はあなたのことを諦めきれない――」
そう話す私を遮るように、彼はまた口を開いた。
「ありがとう。君にそれだけ想われているのはとても嬉しい。でもな、本当に申し訳ないけど、今は君を受け入れられない」
「なぜ、どうしてですか」
俯く私に、彼は言葉を続ける。
「確かに、俺の中でも君はとても大きな部分を占める存在だ。それに、好きか嫌いかで言えば、俺は君のことが好きだよ。でもな、好きだからこそ、今はまだ受け入れられないんだ」
「私に何かダメな点があるのですか?どこか直せば、先輩は私を―――」
「そうじゃない!そうじゃないんだ!」
彼は声を荒げて私を遮る。
「悪いのは君じゃない。俺の方なんだよ」

「知っての通り、俺はこんな人間だ。顔は老けてるし、耳の聞こえも悪い。皮膚炎やその他諸々、俺は普通の人じゃないんだよ。それに、君はまだ高校生だ。地元を脱して大学に入ったり、社会に出れば価値観が変わるかもしれない。いわば発展途上の君を、俺なんかに縛り付けていいとは思えないんだよ」
一旦の間をおいて彼は話し始める。
「あの人はもう居ないけど、その記憶は今も鮮明に残ってる。現実にまた会えるとか、彼女がどこかで待っているとか思っちゃいない。だけど、やっぱり彼女のことを忘れられない自分が居る。彼女と話した、あの空をあきらめられない俺が居る。君とあの人、この気持ちにケリを付けるまでは、君を受け入れちゃいけないんだ」
「・・・・」
「ごめん・・・」

再び無言になる。
彼の告白が心に響き渡る。

再び口を開いたのは、私の方だった。 
「私、先輩の事何もわかってなかったんですね・・・・。それなのに半ば押しかけで問い詰めるようなことをしてしまってごめんなさい」
「謝らないでくれ。悪いのは、俺の方なんだから」
「そんなことないです。やっぱり、何もわかってなかった私の方が・・・」
ごめんの言い合いになり、二人の間にクスッと笑みがこぼれる。

「待ってて、くれるかな?」
彼はそう話し出す。
「この気持ちには、必ずケリをつける。そして君も社会に出て、いろんな経験を積んだうえで、まだ俺のことを好きでいてくれたなら、その時こそ必ず答えを言うよ」
「・・・」
「何年先になるかはわからない。でも、必ずケリをつける」
そう言って彼は一つの岩石を取り出す。
「すごくちっさいけど、これには君の誕生石であるルビーの原石が入ってる」
どこにあるかを指さしながら、岩石を私に手渡す。
「これが、約束の証だ」

私は、受け取った岩石を見つめる。
その時、パッと街灯が点いてルビーが輝く。
「あっ」
街灯の明かりを反射して、赤く輝くルビー。
私は彼から受け取った確かなものを、ギュッと胸に抱きしめた。

「いつの間にか夜になってたんだな」
彼はそう言って後ろを振り向く。
そこには、彼の住む街と、いつも以上に綺麗に見える星空が広がっていた。
「バスが無くなる前に帰ろうか」
「はい」
二人は肩を並べて来た道を引き返していく。



次の日の帰りの電車の時間までは、いつも以上に話が弾んだ。
そんな楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
この改札をくぐったら、私たちはまた前のような友人関係に戻らなければならない。彼も帰れば彼の生活が待っていて、私も実家に帰れば私の生活が待っている。
だが、完全に元の関係に戻るわけじゃない。
私の手中には、彼からもらった確かなものが握られている。
こんどこそ、このルビーが私たちを繋いでいてくれるに違いない。

「じゃあ、またな」
そう言って彼と別れて改札をくぐる。
「バイバイ」じゃなくて「またな」
それは次につながる言葉。
きっと、またどこかで私と彼の運命は交錯するだろう。
彼からもらったこの約束のルビーがそう物語る。

私は、彼からもらったルビーに願いを託し、帰る方面行の電車に乗った。
ふと見たホームの向こうに、彼が居た気がした。
その影はきっと彼だったのだろう。私は、その影と、素敵な思い出をくれた遠きこの地に別れを告げた。
「またね」と。

おわり
 


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